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フィギュアレビュー、本・漫画の感想など

【かわいい】LOVE久野美咲ちゃんの魅力あるいは1+1>2ということについて【おばあちゃん】

声優

 昨日からめっちゃ体調悪くて今日は午前中で仕事早退しました。明日は午前だけ出勤して午後から病院行くか、あるいは体調を見て朝から休んで病院行こうかなと思ってます。
 何もやる気が出ないので今日は声優の久野美咲chanの魅力について語りたいと思います。

 まず久野ちゃんを語ろうとするときにぼくは久野ちゃんからふたつの成分=久野汁(くのぢる)を抽出する必要性を感じます。それは〈永遠の幼女〉と〈偉大なる祖母〉です。ぼくは久野ちゃんというLOVEの精神性はこの二本柱で成り立っていると主張します。そしてさらにリアル久野ちゃんがその二本柱の中間にいてバランスを取っているという格好になります。
 図にするとこんな感じです↓

〈永遠の幼女〉

 久野ちゃんは1993年1月19日にこの汚れた地上に降り立ちました。身長は150cm。現在22歳、もちろんビールだって飲みます。だって大人だもん。でもぼくたちは久野ちゃんを22歳のステキな女性として見る一方で、その背後にある幼女性をもまた感じるのです。
 「ヨ(Y)・ウ(V)・ジ(J)・ヨ(Y)」。これこそ新たなる宇宙のテトラグラマトンと言われているものです。幼女性というのはテトラグラマトン「ヨ・ウ・ジ・ヨ(YVJY)」の残光を意味します。それは宇宙に光をもたらした第一の存在、正確にいうならば、存在に先立って存在する存在であります。幼女性が宇宙に亀裂をいれる、いや、亀裂を宇宙に拡大するといったほうがいいでしょうか、テトラグラマトンの残光たる幼女性からはじまったこの新たなる世界が幼女性の運動、どよめきによって爆発的に広がりを見せます。幼女性は宇宙誕生のその瞬間、同時刻において完全な純粋状態にありましたが、時間とともにカオスに飲み込まれ、不完全な、ひび割れた、もろい、運動性の低下した、骨粗鬆症状態の、卵の殻のようなものになっていきます。
 世界は堕落の道をたどるしかないと思われていました。原初の宇宙の力、純粋性、完全性、そういったものは失われ、存在は残りかすのようなものでしかなく、熱は失われ、すべては死という不可避の運命へ飲み込まれるかのように思われました。ですが1993年1月19日、奇跡が起きました。その日はオーロラがよく見え、太陽活動がいつもよりも盛んになったそうですが、それはさながら運命のひとのために送られた神からの祝砲だったのかもしれません。
 久野ちゃんもまた幼女のころはふつうの幼女でした。それは当然です。このときはまだだれにも久野ちゃんの久野性をただしく理解してはいませんでした。ですが、成長するにつれて久野ちゃんの久野性つまり彼女に秘められた幼女性が明らかになっていくのです。22歳になった久野ちゃんはまだ幼女です。それは声を聞けばわかります。幼女でしかないです。22歳の幼女。
 すべての幼女は幼女性に愛されています。しかしひとは成長するにしたがって、幼女性を脱ぎ捨てようとします。幼女性とかわりに得られるものは世俗の汚れ、狡猾さ、ある種の固有名詞です。ひとは幼女の自分を忘れてしまいます。すべての幼女は神に愛されていますが、人間として立つということは、ある技芸を獲得するということであり、技芸というものは神殺しの道具なのです。
 久野ちゃんがなぜ幼女なのか。たしかに声が幼女ということもあります。でもそれだけじゃないんです。ぼくは久野ちゃんが喋っているのを聞いても何を言ってるのかよくわかりません。聞き起こすことはできますが、それは久野ちゃんの声を聞くという体験とは次元がちがいます。ぼくは久野ちゃんの声には言語化されないある純粋さ、言語が言語として固まって腐り始める前の、創造性や運動性にあふれた、自由の風、力溢れる熱、そういったものを感じるのです。久野体験によってぼくはぼく自身の幼女性を振り返ってみずにはいられませんでした(ここで注意してもらいたいのは幼女性というのは女性特有というものではないということです。男の赤ちゃんもまた幼女性を持って生まれます)。忘れてしまった言語化されえぬ領域のあの幸福感、恍惚感、おぎゃーと泣いたときのあの至上の歓喜、そういったものをぼくは久野体験によって呼び起こされたのです。
 神に愛された〈永遠の幼女〉久野美咲は世界平和の鍵を握っているとぼくは思います。小汚いおっさんもかつては幼女性を持っていたのです。あのころのやわらかいふにふにしたぼくたちはまだ無垢でまったく完全に罪なき存在でした。まだぼくたちは他人を罵倒し打擲する習慣を持たなかったのです。与えられたものを口に入れてふにゃふにゃしてるだけのそれはもうかわいい存在でした。久野体験によってぼくのこころは泣きました。生きる者のつらさです。だれもスタート地点で止まっていることはできないのです。どれだけ汚れてきたことか。成長という意味では久野ちゃん自身もそうです。もう彼女は22歳なんです。しかし、久野ちゃんは成長すればするほどそのスタート地点にあった幼女性をますます強めているようなのです。これは矛盾です。しかし、矛盾した存在というものが世界の絶望を振り払ってくれます。「世界はこうでなければならない」そういったものに「異議あり!」というのです。大逆転裁判出ました。

〈偉大なる祖母〉

 久野ちゃんの幼女性はいまお話した通りですが、久野ちゃんの面白さはそれだけではありません。なんと久野ちゃんには幼女性とは相反すると思われる〈偉大なる祖母〉としての側面があるからです。
 久野ちゃんの話を聞いてると、かわいいおばあちゃんみたいに聞こえるときがあります。すべてをやさしく洗う慈悲の雨のごとき声。夕暮れの風のような心地よい笑顔。久野ちゃんは泰然とすべてを見守っています。その視線には神の母なのではないだろうかと思える一瞬があります。
 テトラグラマトン「ヨ・ウ・ジ・ヨ(YVJY)」とは神の名であり、その残光が幼女性なのでした。ぼくはそこですこし思い違いをしていたのかもしれず、久野ちゃんの〈偉大なる祖母〉性に触れることによって認識に修正を加えます。むしろ久野ちゃんはYVJYに先立つ存在でもあるのではないかということです。すべての祖母。祖母というのはそのことばの通り母の母です。久野ちゃんは母ではありませんが、母の母つまり祖母なのです。これによってYVJYとの関係が明らかになりました。それは前YVJY的性質として〈偉大なる祖母〉を持ち、YVJYの継承者として〈永遠の幼女〉を持つということです。神を生み、神から命を授かり、現世を革命する、それが久野美咲ちゃんだということです。幼女でありながらつねに祖母でもある。幼女性によって他者に影響を与え、祖母性によって見守る、それが久野ちゃんです。革命家でありながら観察者でもあります、それが久野ちゃんです。
 久野ちゃんは「NO」と言いません。「いいね!」時代の申し子です。ぼくたちは久野ちゃんの祖母性の前で跪きたくなります。なぜあなたはそこまで他人を受け入れることができるのか。なぜそれほどにも寛容なのか。ぼくたちは久野ちゃんからさまざまなことを学ぶべきではないのか、ぼくは強くそう思っています。


おわりに

〈永遠の幼女〉と〈偉大なる祖母〉このふたつの久野汁があって久野ちゃんはできています。しかしこれは1+1=2という簡単なものではないのです。お話しした通り、このふたつはYVJYを挟み込む形で存在しています。つまり〈偉大なる祖母〉としての久野ちゃんは〈永遠の幼女〉としての久野ちゃん自身をYVJYという神を挟む形で生み出しつづけているのです。この運動は単なる1+1=2なのではなく、それは1+1>2である運動だということです。〈偉大なる祖母〉は母に多産性を付与した存在です。多産の母から多くの子供が生まれたように、〈偉大なる祖母〉には膨大な孫がいます。無数の久野ちゃん。久野ちゃんは遍在します。
 久野ちゃん大好きです。久野ちゃんと一緒に星空を見ながらビール飲みたいです。