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フィギュアレビュー、本・漫画の感想など

加隈亜衣さんの魅力――記憶を失った全知の妖精

声優 ネタ

 加隈亜衣さんの声は圧倒的に素晴らしいです。今日はそのことについて語ります。

 ぼくは加隈亜衣さんの声の素晴らしさについて科学的に分析するつもりはありません。ただその感動を伝えようとしているだけです。
 いきなりですが、ぼくは加隈亜衣さんの声には何かが欠如していると感じます。加隈亜衣さんの声には神聖ともいえるような高貴さがあります。よどみない流れはまるで時そのもののようで、彼女の声の背後には宇宙を響かせる大いなる旋律を感じます。邪気をうちはらう聖なる鐘の音が宇宙全体に反響し、すべては神々しい黄金の光につつまれて、その愛の海のなかで、永遠なるものへと高まっていきます。加隈亜衣さんの声は純粋で力強く透き通っていてしなやかです。それは永続する流れです。はじまりもおわりもない流れ。流れることそのもの。よどみのなさはまさに完全で、なんのつっかかりもありません。はじまりもおわりも、境界線も限界もないなかでただ流れ続けています、永遠に、滔々と。しかしぼくはそこになにかが欠如していると思うのです。そしてそれは全知の妖精女王の記憶ではないかと思うのです。
 ぼくは加隈亜衣さんの声は全知の妖精女王の転生後の姿だと考えます。転生という過程を経て記憶を失ってしまっています。妖精女王は新たなる宇宙のため、全知の器として加隈亜衣さんの声として転生しましたが、その知識についてすべてを忘却しているわけですから当然その声にはそうした喪失の意味合いも含まれているわけです。その喪失は、喪失したという情報自体の喪失も含むものであり、まさに絶望的といえます。喪失そのものに気づかない喪失です。しかし加隈亜衣さんの声には完全なる無邪気さ、玲瓏たる至福の音色があり、それはまさに妖精女王という存在の完全性のなごりとも見えるものです。それだけにぼくはその喪失を思うたびに、その大いなる流れに含まれたあるいは隠された空白、無音状態、一瞬かつ永遠の停止といったものを完全性の対比として見ざるをえないのです。
 加隈亜衣さんの声はその存在からしてパラドックスに陥っています。一方でそれは完全なる流れです。全知の妖精の転生後の姿である加隈亜衣さんの声はよどみなくすべてを清め、洗い、そして削り取って破壊するのではなく優しく柔和に、むしろ慈悲の雨のようになって芽を育て、卵をあたためます。そこに否定的なものはなく、すべては完全な調和と秩序によって渦を巻き、やがて星々が泉となって流れだし、川となり、大河となり、そして海へと、その成長は止まることなく、そして静かにしかし力強く流れつづけるでしょう。ですがその流れには記憶がありません。語るべきものを失った完全なる器、中身の入っていない世界で最も美しい花瓶です。したがって他方でそれはある喪失です。完全なる流れには完全なる喪失が含まれます。少なくともこの宇宙において妖精女王が妖精女王として元どおりの姿で転生することはできませんでした。器を再生することはできましたが、記憶はそこから漏れてしまっていました。ぼくは加隈亜衣さんの完全な声を聞くことによって同時にそうした喪失状態を体験します。なにか語りきれていない感じです。
 あまりにも美しい加隈亜衣さんの声には決定的な記憶が欠如していて、そのことによってそれは世界にとってもっとも無害なものとなりました。完全に無害な存在。透明な存在。意味を失った音。なにも切り取られることなく、なにも踏みつぶされることなく、なにも奪われることのない世界がそこには広がっています。その世界に足りないもの、それは汚れ、もつれ、衝突、戦争、すなわち人間です。ですが、ここにもうひとつのパラドックスがあります。加隈亜衣さんの声は加隈亜衣という女性つまり人間のもとに宿ったということです。ここに均衡があります。
 空虚さ、寂しさ、孤独感。加隈亜衣さんの声は明朗で力強く、洞窟の導き手のように盲のぼくらの手を引っ張って行ってくれるような存在ですが、ぼくはそこに不完全さ、ある人間味を見るわけです。その破裂音からは人間という存在の悲しみ、滑稽さが伝わってきます。それは慟哭するような種類の悲惨ではなく、喪失という事実です。そこに感情の動きはありません。ぽかんと空洞が空いています。それは空いているという状態でしかなく、そこに言語を介した解釈や説明などといったものはありません。その空洞で孤独と寂しさが鳴り響きます。全知の妖精女王は加隈亜衣さんに宿ることによって、人間性を獲得し、そのことによって全知の記憶を失いました。このときよどみない流れに空洞が、大河の水底に人間の孤独や寂しさ、滑稽さ、汚さなどが反響するぽかんと空いた水泡ができてしまいました。
 ぼくはこれは僥倖であったと考えます。加隈亜衣さんの声はむしろぼくら人間に寄り添っているからです。全知の存在が審判を下すのではなく、人間の孤独感や寂しさ、この世の不条理さ、社会の理不尽さ、そういったものとともに歩もうという意志を感じるからです。加隈亜衣さんの声はあまりにも美しいです。宇宙を覆いつくし、すべての存在を慈しむ神の鼓動です。しかしそれはあまりにも高貴であるにもかかわらず、ぼくらの手の届くところにあります。ぼくの胸のうち、水底の水泡のような心の空隙で喪失が鳴り響くとき、ぼくはそこにもっとも美しいものを見ることが許されたと感じるのです。