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フィギュアレビュー、本・漫画の感想など

純度100%の〈少女〉声優花守ゆみりさんの魅力――少女の原風景

ネタ 声優

 くだらない別記事書いてたんですが、あまり気が乗らずなかなか進まないので、気分転換に今日は日本一かわいい女性声優花守ゆみりさんの魅力について考えてみたいと思います! 久しぶりの声優ネタです!

美少女ではない〈少女〉

 ぼくが花守ゆみりさんの声を聞いてまず思ったのは、美少女と想定されるような声とは違って純度100%の〈少女〉だということです。美少女には美少女という既成のイメージがどうしてもついてしまいますが、今回考えてみたいのはそれよりももっと抽象度の高い何の彩色も味付けもされていないすべての少女の原型としての〈少女〉のことです。
 誤解しないでいただきたいのですが、これはもっとも少女らしい少女という意味ではありません。〈少女〉とはある理念のことであり、一方少女らしい少女というのは現実の存在であるため、少女らしい少女は原少女=〈少女〉の性質を受け継いでいることが確かであるにせよ、それは純粋性においては残りカスでしかなく、まったく堕落してしまっているのです。少女らしさがそれ自体がいかに少女らしいかを語るとき、少女らしさは〈少女〉を参照し、それとの類似性を問題にします。つまり少女らしさは少女らしいということにおいて〈少女〉自体と完全に同一にはなれません。あくまで類似によって、メタファーによって語るのみで、誤解を恐れず言うのなら、少女らしい少女とはまったく〈少女〉ではないということです。それは原少女の無垢性、純粋性、完全性になんらかの色をつけ、名をつけ、枠をつくり、型取り、肉声を与えてしまっています。問題なのはこういった手続きが生じた場合、ある固定観念が現れてくるということです。少女らしい少女は少女らしい少女像にとらわれることになるのです。少女らしい少女たちが少女らしい少女像を築き上げ、今度はその像によって自分たちが縛られ、少女らしい少女は少女らしい少女像との類似性をある程度保っていなければならないという強迫観念から抜け出すことが困難になります。宿命的な役割が強制されてしまうのです。自らが自らを演じなければならないのです。そしてそうすればそうするほど原少女=〈少女〉との乖離がひどくなってきます。
〈少女〉はまだ誰にも姿を見られていません。ぼくらは〈少女〉に少女らしくしろと言うことは不可能です。〈少女〉は少女らしいのではなく、少女らしさが〈少女〉の剥落した断片なのです。




 誰かとの類似性において唯一無二の存在を語るのは失礼ですが、あえて例を出すなら、イメージ的には『姫ちゃんのリボン』の野々原姫子つまり大谷育江さんに雰囲気が似ています。美少女とは違った等身大の〈少女〉。ゆみりさんにはそういった素朴な印象があります。どんな先入観、固定観念もゆみりさんには関係がありません。
 また以前ぼくは久野美咲さんについて書いたことがあります。
unnamable.hateblo.jp
 そこではこんな図を作りました。




 これと比較することができます。ゆみりさんは偉大なる祖母でも永遠の幼女でもなく〈少女〉なのです。ここに違いがあります。久野さんはおばあちゃんでありながら幼女であり、その属性を大人の女性としてのご本人が右に左に均衡を保って崩壊しないように絶妙なバランスを取って舵取りしています。霊妙で複雑な存在といえるでしょう。人生の始点と終点が交錯することによって、単純な一方向の時間つまり過去から現在、現在から未来という単純な時間の流れといったものに新たな可能性の光を投げかけるわけです。
 一方ゆみりさんの場合、図で表すと次のようになるでしょう。




 天上の〈少女〉という雲から雨が落ち、そこに〈少女〉の属性を受け継いだ現実の少女たちの集合があります。ゆみりさんはこの天上の〈少女〉なのです。〈少女〉は否定的に語ることしかできません。つまり「〈少女〉とは美少女ではない」「〈少女〉とはブスではない」「〈少女〉とはメンヘラではない」など。言語による指示、限界づけといったものを受け入れません。〈少女〉は次第にことばなき世界に近づいていきます。〈少女〉はつねに不在です。
 繰り返しますが〈少女〉とは少女集合のなかでもっとも少女らしい少女、理論上の唯一の一点のことではありません。その一点の根拠となっているもののことです。
 ゆみりさんの声は慈雨のようです。不良少女にも美少女にもメンヘラ少女にも、すべての少女のなかに何かが共有されています。ひとりとして同じ人はいないようにひとりとして同じ少女がいないことはもちろんです。ひとりひとりが唯一無二の存在価値を持ち、尊いのです。ですが、彼女たちがみなそれぞれ個性を持ち、そこに差異があるとしても、ことばなき世界の領域において彼女たち全体を貫く鼓動といったものがあるのです。それが〈少女〉です。それはある不在です。ゆみりさんの声はすべての少女たちの声です。少女らしさなどといった欺瞞を脱ぎ捨てた少女たちの本当の核心部分。ある属性を引き受けてそれらしくしなければならないという規律から解放された時の歓喜の声、それがゆみりさんの持つ〈少女〉の声なのです。〈少女〉という不在をすべての少女たちは持っていますが、少女たちは抑圧されているためそれはある奇跡の瞬間にしか呼び戻されません。その空白の領域を見つけたとき、少女たちは安堵するでしょう。わたしは少女らしくなくても少女なのだと。
 ぼくは少女らしくしろと少女に言うのはあまりにも傲慢な態度だと思います。なぜ少女たちは誰かの理想像を演じなければならないのでしょうか。そういった世間の視線から解放されたときに出るのがゆみりさんの声だとぼくは思うのです。
 ゆみりさんと一緒にモグモグしたい。
ゆみりと愛奈のモグモグ・コミュニケーションズ | インターネットラジオステーション<音泉>