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エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』

実存から実存者へ (ちくま学芸文庫)

実存から実存者へ (ちくま学芸文庫)

 エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』の感想です。

世界の内に生きて「ある」とはどういうことなのか。20世紀哲学の開拓者たちが深めてきたこの問いを、レヴィナスは捕虜収容所というギリギリの状況下にあって出発点から問い直した。フッサールハイデガーの思想にいち早く透徹した理解を示しつつも、つねに批判的な参照項として、ギリシャ以来の合理主義と手を切った地点から新たな展望を開いてみせる。非人称的な「ある」ことが、「私」として「実詞化」され、糧を求め、他者に出会い、夜一人目醒め、芸術や神に関わる…。レヴィナス初期の主著にして、アウシュヴィッツ以後の哲学的思索の極北を示す記念碑的著作。存在は「悪」なのか―。

 



 200ページ程度の薄い本です。面白いところもあったかな。今日1日で読めました。最後のあたりからメモ。

定位において、定位が成就する場所との関係において、〈ここ〉において、私たちは、無名で仮借ない実存一般に口が開き、私的な領域に、内面性に、無意識に、眠りとそして忘却に場を与える出来事に出会うことになる。つねに目醒めであり想起であり反省である意識は、そこに背中合わせになっている。瞬間という出来事、実詞性は、扉の敷居の上に実存するという可能性を含みもっている。ひとはその扉の背後に身を退くことができるのだ。そして近代の思考が意識の背後に予感していたのはその扉の背後なのである。意識は「無意識」や「眠り」そして秘蹟という奥底がなかったら、たんに不完全だというだけではすまされない。意識の、意識という出来事そのものは、自分のために出口を用意して〈存在する〉こと、エピクロスの神たちがいるこの存在の隙間のようなところにすでに身を引いているということ、そしてこのようにして無名の実存の運命から身を引き離すということのうちにある。きらきらと瞬く光、そのきらめきがあるのは消えるからこそであり、それは、あると同時にまたないのだ。
(pp.218-219)

 



 レヴィナスはどうしようかなあ。「叢書・ウニベルシタス」からいっぱい翻訳出てるんですよね。とりあえず買うだけ買っておくかな。でもデリダもあるしなあ。ドゥルーズみたいに文庫でたくさん出てくれるとうれしいんですが……
☆☆