読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

愛してくれてマジ感謝

フィギュアレビュー、本・漫画の感想など

森本浩一『デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか』

哲学 森本浩一 ☆☆

デイヴィドソン  ?「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス

デイヴィドソン ?「言語」なんて存在するのだろうか シリーズ・哲学のエッセンス

 森本浩一『デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか』の感想です。

 いまはKindleで読めます。

コミュニケーションの哲学へ向けて

言語はあらかじめ存在するものではなく、あるのは人間とわれわれが生み出す文章と音声だけである。そして、われわれがしなくてはならないのは特定の文に対して特定の意味を与えること。――デイヴィドソン言語哲学を平易に捉えなおし、世界と他者の理解を言語により不断に繰り返す人間という存在/発話という行為を見つめ直す。

 



 クワインクリプキと並んで有名なドナルド・デイヴィッドソン。今日ブックオフ行ったらたまたまこの入門書を見つけたのでポイントで買いました。デイヴィドソン読んだことないのでどんなもんじゃろと思って読んでみました。社会学の教科書読んでたんですが、分厚いのでちょっと息抜きに……
 ほんとに入門書で120ページ程度というわけで、さくっと読めます。
 メモ

向かい合って発話を交換している「ふたり」の間に何が共有されていれば、コミュニケーションが成立していると言えるのか。デイヴィドソンは、表現と意味を結合する規約的知識、つまり言語的に同じようにふるまう能力の共有という観念を放棄しました。それが「言語非存在論」の趣旨です。その代わりに彼は、話し手あるいは聞き手という立場で事前理論と当座理論を組み立ててゆく際に原理的な制約が存在すると考えます。つまり、一定の(自分から見て無理のない)解釈を促すような仕方で話し手は表現を送り出しているはずだと聞き手は「見込む」ことができるし、聞き手側のその「見込み」を「見込む」ような仕方で話し手は発話を組み立てるということです。基本的にこれは寛容の原理の拡張ヴァージョンと見なしてよいものです。そしてそれは、コミュニケーションはいかなる場合においても、多かれ少なかれ根元的解釈であるという考え方を反映しています。
(p.91)

 



 目次

はじめに
第一章 言語哲学は意味をどう扱うか
1 意味とは何か
意味は心的なものではない/
意義と指示対象/述語関数/
文の意義としての思想/文と思想と事態
2 「ふたり」のコミュニケーション
言語の社会性/社会性とは能力の共有か/
言語能力の主体とコミュニケーションの当事者/
意味に依存しない解釈


第二章 真理と解釈の第一次性
1 真理条件という考え方
T-文/対象言語とメタ言語
意味の理論/全体論的性質と述語論理
2 寛容の原理
理論は経験的にテストされる/信念と意味の相互関係/
根元的解釈/寛容は強いられている/
なぜ言語相対主義ではだめなのか


第三章 コミュニケーションの哲学へ向けて
1 解釈のプロセス
マラプロピズム/最初の意味/
「共有」と理解の一致/
学習される規約としての「言語」/
事前理論と当座理論
2 言語非存在論
当座理論はなぜ理論なのか/
「言語」が存在しないとはどういうことか/
解釈のスキル


第四章 「言語」ではなく数多くの言語が存在する
1 意図と規約
文体的多言語使用/拡張された寛容の原理
規約説からの反論/意図の複数性
2 デリダデイヴィドソン
行為の理由としての意図/
反復可能性と寄生の構造/
多くの言語による約束=合意


デイヴィドソン小伝
読書案内
あとがき

 



 この本に書かれてたことは個人的にはまあ受け入れることができました、というか多くの人は共感するのでは。でもこんなに簡単なわけがないので、デイヴィドソンの書いたものを読まないとだめでしょう。
 あ、でもデイヴィドソンが3回も結婚してるのはうぜえなと思いました(´・ω・`) こんなハッピー人間の影響受けたくないとも思うし、読むか悩みますわ。ヘミングウェイかと。
☆☆