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桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet』

 桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet』の感想です。

その日、兄とあたしは、必死に山を登っていた。見つけたくない「あるもの」を見つけてしまうために。あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、一刻も早く社会に出て、お金という“実弾”を手にするべく、自衛官を志望していた。そんななぎさに、都会からの転校生、海野藻屑は何かと絡んでくる。嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは序々に親しくなっていく。だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日―。直木賞作家がおくる、切実な痛みに満ちた青春文学。

 



 オタクから評価が高いので読んでみました。ライトノベルとしてはまあまあよくできてますが、今回は普通の小説として読んだのでかなり稚拙に感じました。読書感想文のネタにしやすいということで小中学生にはおすすめですが……。
 娯楽小説全般にいえることですが、とにかく整ってるってところがまず問題です。この作品は設定がかなり整然としていて、その構造が誰にでも理解できるようになっています。複雑なねじれた設定はなく、それぞれのキャラがわかりやすい役割を割り当てられて(対照的な配置になっていたりする)、主人公の一人称や会話文で丁寧に説明されていきます。最初から最後まで作り物感がはんぱないです。え、こんな単純でいいの!? ってびっくりしました。




 一人称で語られるんですが、主人公の山田なぎさは田舎の生活保護母子家庭で成績もまあまあという設定になってるんですよね。そんな普通の少女の語りにしてはあまりにも語彙が難しすぎる気がします。作者も会話文では若者っぽく頑張ってるんですが、生活保護世帯の普通の女子中学生が絶対に使わないような言葉をいろんなところで使ってるんですよ。挙げていくときりがないですが、とりあえず「逡巡」はないんじゃないですか? これをどう擁護したらいいのだろう。文学少女という設定でもあったのかな。語彙の問題以外にも違和感があるところはほんとにたくさんありますが、たとえば

海岸は暗くて、うち寄せられたゴミには海の向こうにある朝鮮半島から流れてきたらしい韓国語の商品名が書かれた空き缶とかが交じってて、辺り一面磯臭くて、それに、誰もいなかった。
(p.128)

個人的には田舎の普通の女子中学生が「朝鮮半島」なんて言うとは思えなかったです。女子中学生なら「朝鮮半島」ではなくて、ふつうに「韓国」って言うでしょう。というか、ここでは「海の向こうにある朝鮮半島から流れてきたらしい」がいらないです。こういう細部の言葉選びのセンスとか説明的すぎる文体などがどうもしっくりこなかったです。ほかにもこういうところがたくさんあります。自分が知ってるからって使っちゃうんですよね。三人称ならいいですが、これ、13歳の女子中学生の一人称っていう設定ですからね。「逡巡」はどうなんだろう? そういう細部の説得力の積み重ねが大事なので、ぼくはこういうの読むとなんかがっかりしてしまうんですよ。
 あと便利キャラの兄、友彦がよくないです。なんかいろいろ説明してくれちゃってます。なぎさの担任も後半になると説明キャラに変貌。とにかく説明的に書きすぎで、いらないところ省略していくと50ページくらいで書けたんじゃないのかなあ。




 まあ技術的なことはべつにどうでもいいや。難癖にしか思えないし。




 読んでて思ったのは日本人の幼稚さみたいなものです。ぼくは少年主人公だとイタロ・カルヴィーノの『くもの巣の小道』をよく思い出すんです。

くもの巣の小道―パルチザンあるいは落伍者たちをめぐる寓話 (ちくま文庫)

くもの巣の小道―パルチザンあるいは落伍者たちをめぐる寓話 (ちくま文庫)

少年ピンが加わったパルチザン部隊は、“愛すべきおちこぼれ”たちのふきだまりだった。普段、酒や女で頭がいっぱいの彼らが「死」をもってあがなおうとしているのは何なのだろう。なんとも嫌らしくて、不可解な大人たちである。パルチザンの行動と生活を少年の目を通して寓話的に描く。奇想天外な現代小説の鬼才・カルヴィーノの文学的原点の傑作。

 




 もちろん一人称と三人称という違いはあります。でもあまりにも出てくるキャラクターの精神年齢が違いすぎて愕然とします。今読んでるコーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』にしてもそうです。

ブラッド・メリディアン

ブラッド・メリディアン

少年は、十四歳で家出し、物乞いや盗みで生計を立て各地を放浪していた。時はアメリカの開拓時代。あらゆる人種と言語が入り乱れ、荒野は暴力と野蛮と堕落に支配されていた。行くあてのない旅の末、少年は、以前より見知っていた「判事」と呼ばれる二メートル超の巨漢の誘いで、グラントン大尉率いるインディアン討伐隊に加わった。哲学、科学、外国語に精通する一方で、何の躊躇もなく罪なき人々を殺していくこの奇怪な判事との再会により、少年の運命は残酷の極みに呑み込まれるのだった―。『ニューヨーク・タイムズ』紙上で、著名作家の投票によるベスト・アメリカン・ノヴェルズ(2006‐1981)に選出。少年と不法戦士たちの旅路を冷徹な筆致で綴る、巨匠の代表作。

 




 現代日本人の平和ボケというか、精神的な幼さというか、そういったものを突きつけられるようで恥ずかしくなります。もちろん社会の状況、歴史的な背景が違うというのはありますが、なんでこうも違うんだろうなあと。
 まあ貧困や児童虐待やDVや引きこもりなどは現代的な問題なのでそれはそれなのですが、描写があまりにも幼稚というか。都合よく作られたキャラクターというか。ぼくも虐待されて育って大学卒業後には引きこもってたのでこういう小説には共感するはずなんですけどね。でもそんなものまったくなく、ほんとに空虚さしか感じなかったです。なんかとにかく浅いなあと呆れてしまうばかりで。切実さをまったく感じないというか。なんかただ演出してるだけでリアリティに欠けるというか。話としては、ああ面白い面白いねーという感じではあるんですが、ぼくはべつに面白い小説を読みたいわけではないので。
 でも、辻原登っていう偉そうな先生が解説で絶賛してるんですよ。よくわからんなー。
 ぼくが文学音痴なのかもしれない(´・ω・`)