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モーリス・メルロ=ポンティ『見えるものと見えざるもの』

見えるものと見えざるもの 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

見えるものと見えざるもの 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

 モーリス・メルロ=ポンティ『見えるものと見えざるもの』の感想です(´;ω;`)

『行動の構造』『知覚の現象学』の到達点を越えて、身体=野生の奥深い経験世界の現象学を新たな存在論として展開する野心的論考。著者の思索の総決算として企てられた未完の草稿群と晩年の「研究ノート」から成る本書は、「沈黙の世界」の哲学的開花を告知する。

 



 メルロは去年の8月からずっと読んでました。ここずっと体調がすぐれないというか、まったく人生にやる気が出ず、『知覚の現象学』と『見えるものと見えざるもの』のたった2冊を読み終えるのにこんなに時間がかかってしまいましたよ(´・ω・`) 「いい加減ケリをつけよう!」ということで今日一気に150ページ弱読みました。最後に本書の「訳者あとがき」を読みながらなんか読み終わることに感動していましたよ……




 感想を言うと、『知覚の現象学』よりこっちのほうが面白かったです。有名(?)な「肉」の話が出てきます。あと、サルトル読んでおいたほうがいいかもしれません。ぼくは読んでなかったので、いつか読めたらいいかなあと思いました。
 ぼくは学生時代ちょこっと語用論をやっていて、あと不確定性原理なども好きで解説本など読んだりしてたんですが、そういう趣味のひとはもしかしたらメルロが合うかもしれません。それに、人文科学的なものに寛容な理系のひとが読んでも得るものがあると思います。逆に自然科学は万能だとか、全能感を感じちゃってるひとは切り刻んで捨てたくなるでしょう。メルロだけでなくフッサールとかもそうですが……
「訳者あとがき」がとても親切でわかりやすくまとまっています。このあとがきだけでも読む価値があると思いました。いろいろ大事なところはありますが、個人的に気に入っているところをメモ。

言葉が沈黙に取って代ったり、語義のシステムが沈黙の奥深さを汲み尽くしたり、などということはない。哲学は「物言わぬ経験に語らせること」であって、語のなかに貯えられた意義の展開であってはならない。言語の世界は自律的なものではありえず、沈黙の世界を表現するものとしてのみ有効なのである。表現することは記号のうちに納め込み閉じ込めることではなくて、本来の経験を想起させ、その背景・その意味を察知させることでなくてはならない。沈黙が言語を包む。沈黙は言語の奥行であり肉である、しかしその逆も言える。沈黙の経験は表現を求め、これと相即関係に立つことによっておのれを成就するのである。哲学は沈黙の経験と「合致」することではない。言語表現を通じて沈黙の経験そのものに語らせ、その意味を悟らせるのである。
(pp.569-570)

すべてが肉の厚み、奥行を具え、距離を隔てて臨まれる。これを見るまなざしも肉を具えている。起伏、すなわち光と影とから織りなされた世界、共に可能的ではないもの――例えば私の見る世界と他者のそれ――を共存せしめる場としての世界、したがって両眼の映像のように互いにずれあっている私と他者の世界像が、自他の交互性・可逆性によって唯一の世界として、われわれの相互的生存と交通においてまとまるのだ。世界とはすなわち間世界・相互世界である。しかも、それぞれの避くべからざる私的世界の現実を通じて、生きられるのである。厚み、肉、奥行とは、精神にとってはその身体への、そしてこれを通じて状況と世界への帰属を意味し、逆に物質にとっては見える側面が見えざる側面や内部を必ず伴うという事態、したがって汲み尽くされない地平をもち、知にとっての他者性とこれに帰属するある種の自律性の萌芽を宿しているということ、つまり物質は即目的・客観的存在として自己同一的に固定したものではなくて、自己自身との差異を含み、宇宙の持続のうちで変化発展する存在であって、見られるだけでなく見るものでもある、ということ、なまの経験に現われるかかる事態を意味すると、私には思われる。
(pp.580-581)

★★★